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    例年の冬は仕事ができない習慣であったが、伊東へきて、仕事ができるようになった。伊東は南国だといっても、ちょッと南へ下ったというだけのことで、東京からくる人には暖かさが感じられても、住む身には分らない。仕事ができるのは温泉のせいだ。ぬるい温泉のせいである。つかっていて汗ばんでくる温度だと、温度に同化することはできないものだ。

    喜作はふりかへつた。そこへ房一も登りついた。三人は瞬間顔を見合せた。そこに、房一は自分よりは二つ三つ若い、だが禅坊主のやうな頭骨をした精悍な表情の神原喜作を見た。

    「ハッパさね」

    彼が感動したのは他でもない、決してつかまらない年月といふもののふしぎさ、その尨大な、とりとめもない曖昧さ、しかもなほ決して空虚ではない、いや空虚とその反対のものが一杯にまざり合ひ、犇ひしめき、微妙につながり合ひ、その或る時は軽快に、或る時は重々しく、何かはつきりしているかと思へば混乱し、――さういふ得体のしれない経過のせいだつたのである。

    と、道平は明かに盛子に気兼ねをしているらしかつた。

    徳次は口のあたりをもごもごさせた。

    さう呟きながら、下手を眺めた。

    答へながら、他人ごとのやうにずばずば何でも話してしまふ喜作の飾り気のなさに、驚いていた。

    「なにぶん山の中でございますから、折々にこんなことがございます。」

    「こゝの消防演習をやつたのだ。そんなに騒ぐことはない」

    練吉はまだ眼鏡を手にしたまゝ、不自然に大きく見える眼を極端にぱちぱちさせ、ぢつと房一の顔をのぞきこんでいた。彼は今さつき、突然の房一の来訪でよび起されたのである。

    「お礼ですか」

    房一が道平を送つて行くことになつた。

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