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「どうですか、掛りさうかね」
二人は今船で流れの上を渡つていた。綱を手繰たぐる徳次のわきには房一が自転車のハンドルをつかまへて立つていた。全体に銀白色の金属でつくられたこの自転車はいかにも新しげだつた。それさへ、徳次の目には医療器具か何かのやうに特別な機械に見えた。
と、房一はぐいと身体を起した。それがあまり突然だつたので、傍にいた徳次は慌てて立ち上つた。
「はい、あの、切れて居りますが」
「房一の仕わざではないか」と云ふことになつて、一同が手分けをして近所を探した。すると、老父が河へ下りる路の手前で馬に跨つている房一を見つけた。馬は此方へ向いてゆつくりと歩いていた。房一は父を見ると、彼の方から大声に父の名をよんで、馬上に得々としていた。後で皆が訊くと、馬は河へ下りる路の所までは楽に行つたが、そこからはどうしても下りなかつた、そして、彼が腹を蹴りつづけると、馬はくるりと向きを変へて家の方へ勝手に歩いて来たのだ、と云ふ。一同は大笑ひをしたが房一は小ましやくれた生まじめな顔で、まだ酔つたやうな眼をきらつかせていた。
どういふ加減からか、それを云ふ時、相沢はぐつと又相手の顔をのぞきこんだ。それは何となくもつたい振つた、重々しい様子だつた。
小谷の店では実にあらゆる品を売つていたが、その中には僅かだが薬品類もあつた。したがつて、高間医院は小谷にとつて多少のお得意先でもあつた。今では、小谷は心易立てに注文のあつた薬品を「店主自から」ぶらさげて房一の所へ持つて行き、そのまゝ話しこむやうになつている。
入るなり、
「さうです、小倉組の方ですな」
ところが、何の気なしにいつものきよろんとした目つきでその方を眺めていた徳次の顔には、その時不意打を喰つたやうな表情が浮かんだ。彼は緊張して眺め、さつと顔を紅らめ、力りきんだやうになり、それから急に下こゞみになつて水洗ひの仕事にかゝつたが、明かに上の空だつた。彼は始終落ちつきなく対岸の路を眺めやつた。そしてやはり、紅らんだり力んだりした。
だが、その不審は間もなく答へられた。房一が来た用を忘れてしばらく見恍みとれている間に、小柄な、鼠のやうに小粒な円い眼の、額の禿げ上つた男の顔が店土間からのぞいたかと思ふとすぐに下駄を突つかけて出て来た。房一が気づいた時には、その男はもう房一の真後まうしろに立つていた。黒い背広のお古にズボンだけは新しさの目立つカーキ色の乗馬用をはいて、赤銅縁の眼鏡をかけたその男は、
と、彼は恐しく手まどつて答へた。
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