このページについて
さう云ひながらぽんと軽く下腹をたゝいた盛子の巧みな、しなのある手つきが目に浮かんだ。それは、そこだけ切つてとつたやうな鮮かさで残つていた。
「鬼倉といふのは女を二人置いとるさうぢやないか」
と云つたまゝ、もの珍らしげに、しばらく眺めていた。それから、相手にその意味が判るやうに微笑をし、目くばせをしながら、
私は時間を忘れているが、ひょッとすると、一二分、又、一二分というように、ねむっているのかも知れない。頭のシンが疲れている時には、頭をシャボンの泡だらけにして、湯につかりながら、後頭部からコメカミへかけて十分も十五分も静かにもむこともある。両耳を抑えて、湯の中へ頭をもぐしこんでシャボンを落して、又、湯の温度に同化してしまう。
だが、当の大石医院へ行くまでに何軒かの家に寄り、何人かの男に会つて口を利いている間に、房一は或る気持の変化を感じはじめていた。それはかうだつた――彼は自分の生れたこの土地については、一から十まで知つているつもりでいた。河原町といふものが、そこに住んでいる人達が漠然と一かたまりになつて、云はば机の抽出に蔵ひこんである手帖のやうに、すぐその所在を確められるものとして感じられていたのだが、今日はじめてその一人一人にあたつてみると、今まで考へていたものとは可成りにちがふ何かしら別のものが思ひがけない感じで房一の顔を打つた。云つて見れば、彼は河原町の住民になつたのを感じた。これにくらべれば、彼が今まで感じていた河原町そのものは単にその外形であり、彼はこの町の住民ではなかつたとさへ思はれるのであつた。
それはまさに、多くの矛盾、手前勝手を含んでいたにかかはらず、たつた一つの調子は常に変ることなく、何となく相手の耳に沁みこむ響を持つていた。それは、両親に絶えず圧迫され、理想化され、重荷を負はされて来た弱い子供の魂だつた。事実、彼は子供の頃から機械だの細工物だのいふ方面に特色のある才能を現していた。さういふ物をほしがつた。写真機、蓄音機、機関車の模型、それらをせがみ、片つぱしからこはし、次々と倦きて行つた。その倦きつぽさが正文を不安がらせた。殊に、そんな高価な玩具だの遊び道具は正文にとつて一種の贅沢物だつた。或る時、正文は思ひ切つて、それらの物を練吉から取上げた。造る物を見つけるとこはしてしまつた。抑圧した方がいゝと考へたものか、又欲しがる通りに与へて果していゝ結果になつたかどうかわからないが、いづれにしてもこの事は深く練吉の子供心を悲しませた。
それは直造が案内状を出す間際になつて心づき、入念に考へたあげくに呼ぶことにした高間房一だつた。
練吉は永い間黙つていた。それから、いかにもいやいやな調子で、
「いや、これから往診に行くところだ」
「うむ、――え?」
「うむ、わしか」
盛子は時々半ば無意識に呟いた。
- 山の中の素敵な温泉飛騨高山温泉の予約なら当サイト
- 清流流れる温泉四万温泉の予約なら当サイト
- 海際のハイセンスな宿鴨川温泉の予約なら当サイト
- 日本海の夕日をmini!皆生温泉の予約なら当サイトへどうぞ