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    「ふうむ。いや、よからう」

    この分では永くなりさうだと思つて、房一が腰を浮かし気味にすると、

    「いや、あの晩の、ほんの三二日前です」

    「これですか――?」

    しかしまた一方から考えると、今日の一般浴客が無遠慮になるというのも、所詮は一夜泊りのたぐいが多く、浴客同士のあいだに何の親しみもないからであろう。殊に東京近傍の温泉場は一泊または日帰りの客が多く、大きい革包かばんや行李こうりをさげて乗込んでくるから、せめて三日や四日は滞在するのかと思うと、きょう来て明日はもう立ち去るのがいくらもある。こうなると、温泉宿も普通の旅館と同様で、文字通りの温泉旅館であるから、それに対して昔の湯治場気分などを求めるのは、頭から間違っているかも知れない。

    相手が急に三人にふえたためか、柵の中の長身な男は一層興奮した。

    その直造の耳には、次のやうな言葉が響いて来た。

    盛子の顔からはもうあの一人でうれしがつているやうな無邪気さは消えていた。代りに現れたものは物柔い優しさに満ちた注意深さだつた。

    「いゝえ、なんの。おれんとこへなんか。――あんたは忙しい身だもの」

    「さあて、帰るかな」

    と、おづおづ答へた。

    「かりに、おれが真正面から反抗的に出て、それがために住みにくくなつたとしても、同じことだ」

    「はゝあ」

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