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    家の中でも彼は「悪たれ」であつた。一番上の兄は身体こそまだ大人ではなかつたが、一人前の野良仕事ができた。この兄は非常に無口で働き者であつた。次の兄も学校はすんでいたが、非常な好人物で、終日何を言はれても笑つていた。彼も野良を手つだつた。房一はけつして手つだひをしなかつた。どんなに叱られてもいつの間にか家を抜け出して、時には野良からそのまゝ近所の山へ木の実とりや河遊びに逃げ出した。たゞ彼が神妙に野良に出て、用事がなくとも畔くろに腰かけて立去らずにいる時は、きまつて馬がいるのだつた。

    「おい、ビールは冷やしてあるかい」

    だが、やつぱり戻らないで、しきりとこつちを見ながら行く。

    はじめの中は房一の傍で指南顔に見ていた徳次も、やゝ下手の流の中につゝ立つて、身動きもしない。ほつそりした身体つきの小谷は、いつのまにか対岸に渡つていて、これも深い黙想に似た形に稍首をかしげて凝然ぎようぜんとしている。獲物はちよつと途絶えたが、しばらくすると又掛りはじめた。

    そして、少し横手に身をひきながら、しげしげと房一を眺めた。感慨無量、と云つた態ていであつた。

    その二つとも何か危険さを伴つていただけに、妊婦である盛子への影響を恐れたのだらうか。それもたしかに、あることはあつた。盛子は、鬼倉との時もさうだつたが、消防事件の時も、後で聞いて並々でない神経性な不安を現した。

    坐りなり、あたりを見まはした。眉の強い、眼の切れ目な、短いつまみ立てたやうな鼻髭を生やした今泉の稍冷い顔つきは、それだけで云ふなら確かに整つた立派な顔だつた。苦味走にがみばしつて男らしかつた。たゞ何か大切なものが欠けていた。彼は身近かに、皆から稍やゝはなれて手持無沙汰にぽつねんと坐つている房一を見つけた。

    「さうですつてね」

    「時に、お宅は鍵屋の分家の後ださうですな。あすこは大分前から空家になつていたと聞いていましたが」

    「理窟があるやうな無いやうな話でね。こゝの隠居は相手にならなかつたから、たうとう訴訟といふ所まで来たんだらうが、何しろ相沢の先代とこゝの隠居とは兄弟だしね、――どんな理窟があるにしてもあまり賞めた事ぢやないね」

    「いかんと云ふわけもあるまいさ」

    「ジョン、降りろ」

    「はあ、それは――」

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