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「さうかね、梨地へ行くんなら、やつぱりこゝを渡つた方が近道だ。井出下の渡しはもうないからね」
相手はさつきから黙つて、房一と徳次の様子を眺めていた。さすがに気が立つているらしく、節くれだつた手首を食台の上でこねるやうに動かしていた。そして、徳次よりもはるかに手答へのあるらしいこの男が何者か見究みきはめようとして、どこか気を配つた様子だつた。
「さつき、河原で、先生に会つたんでさあ。――往診に出かけなさる途中でね」
「さうですか。それは――」
と、房一は急いで頼んだ。加藤巡査は一瞬、不安な面持をした。が、房一の態度が決然としていたのと、急策としてはそれより他にないことも明かだつたから、直ちに承諾を与へた。
うまい工合だと感じた房一はすかさず云つた。
「さうです。――どうかなさつたかね」
次に記すのは、ほんとうの怪談らしい話である。
と、鬼倉はすつかり他意のない様子で答へた。
伊東は市ではあるが、熱海とは比較にならないほど、ひなびている。けれども温泉場であるから、道路には広告塔があって休むことなく喋りまくり唄いまくっているし、旅館からは絶え間なくラジオががなりたてて、ヘタクソなピアノもきこえる。先方も商売であるから、静かにしろ、と云うわけにはいかない。
その次は「角屋」の婆さんと言われている年寄っただるま茶屋の女が、古くからいたその「角屋」からとび出して一人で汁粉屋をはじめている家である。客の来ているのは見たことがない。婆さんはいつでも「滝屋」という別のだるま屋の囲爐裡の傍で「角屋」の悪口を言っては、硝子戸越しに街道を通る人に媚を送っている。
「さうです、さうです。さつきも少し遠乗りをやりましてね。帰つて来たばかりなんです。どうしてもこの辺は馬ででもないと、用達しが不便でしてね。町へもこれで出かけます」
鬼倉は一瞬、相手を地着きのごろか何かと思つたらしい、一種の殺気をひらめかした。
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