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    このあいと云ふ名の夫人は一度房一にお酌をすると、すぐ呑み乾されるのを待つやうに銚子を両手で抱へて持つていた。その様子は、何となく一方を向いたらそれしかできないやうな或る単純な性質を現していた。容貌から云つても、彼女は主人の相沢とは正反対であつた。肩が張り、腕も太く、顔も四角だつた。だが、そのごつごつした外形を蔽ふ何かしら間の抜けた感じが彼女の印象を一種親しみ易いものにしていた。はじめ、房一が玄関を入つたときもさうだつたが、今も彼女は一言も口を利かなかつた。その代りにすこぶる叮重なお辞儀をしただけである。

    「お忘れかもしれませんが、高間道平の息子でございます。――今度、医者としてこの町へ戻りました者で――」

    盛子は房一からさういふことを聞かされていたので、往診に出掛ける時には彼女の方から念を押したほどだつた。房一は四時までには帰ると答へた。だが、もう五時過ぎだつた。そして、日が落ちてからの空気は、まるでわざと盛子の気を落ちつかせまいとするかのやうにどんどん暗くなり、冷えて行つた。

    彼は実際に身体を顫はせて見せた。彼の眼にはいつも肩章や、きらきらする指揮刀が眩まばゆく輝いて見え、むんむんする隊列の汗と靴革の匂ひ、町中を行進するときや、町外れの木蔭で見物人にとりまかれて兵卒に演習の想定を説明するときや、それらの晴れがましい空気の思ひ出が、今は日焼けがとれて生白くなつてはいるが、眉の強い、眼の切れ目な、短い鼻髭の生えている彼の稍冷い顔を生き生きとさせるのだつた。恐らく下士官頃の上長に対する習慣からか、彼は今でも無意識のうちに自分を引上げてくれる上長を求めているもののやうであつた。河原町でも、彼は鍵屋の神原文太郎氏のところや大石医院などへよく出入した。徳次が今泉を何となく気に入らないのも、多分さういふことも預つているのだらう。

    もう一度小学校の校庭まで辿り着いた時には、衣裳がくたくたになつたのと疲労し切つたのとで、行列をつくつて歩いている間に自然と現れていた共通の類似、あの正面を切つたまじめさが消え失せ、代りに日頃のそれぞれな持前が、尖つた顎だの鹿爪らしい顔つきだのいふものが今や歴然と姿を現した。まだ解散にならぬ前から気早やに冠をかなぐり取つた者もいたし、衣裳をぬぎにかゝつた者さへあつた。

    「いや、人目がなきあそれどころぢや済まんでせう」

    二人は夜ふけの戸外に出て下手の渡船場の方へ路をとつた。月はなかつたが空は一面の星で外は案外に明かつた。房一は先に立つて河沿ひの土堤の上を歩いていた。夏の間に生ひ茂つた雑草が路が見えない位になつて、その葉先がうるさく彼等の足をこすつた。房一の手にしている自転車用の電燈の明りは雑草の頭を、時には横に外れて、うす暗い中にほの白く浮き上つて見える広い河原の上にたよりない光を投げた。房一は時々うしろをふりかへつて見た。老父は尻をはしよつて、黙つてうつむき加減に歩いていた。それは恐く小さい、又何となくかつちりしたものだつた。房一はあの日に焼けた真黒い膝小僧までがはつきり見えたやうな気がした。そして、そんなに小さい者としての感覚がありながら、同時に房一は子供の時分父親につれられてこんな夜路を歩いていたときの、父親が非常に巨おほきな身体をしていて、力もこの周囲をとりまいている夜の深い脅おびやかすやうな印象をふせぐには十分だと云ふあの子供つぽい切ないやうな信頼の感じ、それをまざまざと思ひ出していた。何かしら温い、何かしら幸福な感覚が深くまつすぐに房一の胸を走つた。この感覚は渡船場で針金についている綱をひつぱつて船をたぐり寄せたときにも、老父が船の後部に腰を下して、房一が慣れた手つきで綱をたぐりながら、黒い温かさうな水の上を渡つているときにも、房一の胸の中につゞいていた。実家について、老父や起き出た家の者に二言三言挨拶して、やがて房一一人でもとの路をかへつて来る頃、彼は又日頃の心の状態にかへつていた。そして、「医師高間房一」が彼の中で目覚めて来た。渡船場の黒い温かさうな水の色はさつきと同じやうに彼の眼の前で光つていた。たぐりよせる綱のさやさやと引擦り会ふ音はさつきと同じやうにあつた。彼はそれらに注意深く耳を傾け、眺めた。瀬の音が河下の方から鈍く匍はひ上つて来た。それにつれてかすかな震動があたりに響いているやうに思はれた。何を考へるともなく深い沈思の蔭で蔽はれていた彼の浅黒い顔に突然或る明い微笑が現はれた。彼はしつかりと足をふみしめるやうにして、土堤の上の路を、雑草の中を帰つて行つた。

    と訊いた。

    しばらく黙つていた後で、房一は

    房一は礼装をして朝早くから出かけた。手はじめに家のある河原町の下手の区域を歩いた。このあたりは大石医院のある上手の区域にくらべると、ずつと場末臭い町並みであつた。その一等端は桑畑になつて、そこいらまではどこか町中の通りらしく平坦な道路は、急に幅も狭せばまり、石ころが路面に露あらはれていた。もう家はないと思はれる桑畑の先きに一軒の駄菓子屋があつて、その隣りには一寸した空地をへだててこのあたりには不似合なほどの大きな塀をめぐちした家があつた。それは河原町の旧家に多い築地塀を真似たものだつたが、様式は京都や大阪にありさうな塗壁の塀であつた。その家はびつくりさせるやうな大きさにもかゝはらず、昔風な家ばかりを見慣れた房一にはつい一月前に建てたやうに見えた。だが、もう四五年は経つているのである。紺屋といふ屋号で知られているこの家は河原町では一番新しい地主だつた。又、恐らく一番の物持ちだらうと云はれた。その真新しい家の印象とは反対に主人の堂本は恐しく引込思案の男だつた。彼はその財力には珍しくどんな町内の出来事にも関係するのを避けていた。それどころか、彼は何もしなかつた。たゞ夏近くなると始まる鮎釣りの季節にだけ、堂本は仕事着めいたシャツに古股引、大きい麦藁笠といつた姿で川岸に現はれるのだつたが、それさへなるべく人目にかゝりさうな場所をはなれて、上の方から釣手が下つて来るとだんだん下流の方へ、時には一里位下に遠ざかつてしまふのであつた。さういふ堂本にしてみれば、住居を新築したことだけが唯一の人目につく仕事だつたらう。それも、入口に立つてみると、ひどく用心堅固な感じの、こんなに周囲が畑ばかりで覗きこむ人だつてある筈がないのに、絶えず閉め切つた太格子の二枚戸が見えるだけで、内側の様子は皆目判らないやうに出来ていた。

    だが、あんなに身勝手を通して来ながら、それを正文が許してくれたことは少からず練吉には意外だつた。それは子供の頃から頭に沁みこみ、こしらへ上げていた頑固な気むつかしい父親とは似ても似つかないものだつた。その、子供の頃に得られなかつた正文の愛情を、練吉は大きな身体をしてむさぼり味つたやうなものだつた。この意識は彼を一変させた。彼はしたがつて、今では一面善良な大石家の息子だつた。同時に、あの永い間に受けたきびしい圧迫の記憶は、いまだに或る作用を及ぼしていた。どんなにのんきさうに帰つて来ても、一たん家の中に入るや否や、何かしらむつとした、気むつかしい、わがまゝらしい表情も宛あたかもとつてつけた面のやうに知らず知らず練吉の顔に浮ぶのだつた。

    「おい、早く早く」

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