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    「さあ、一つ拝見しませう」

    「さうかよ。おれは又、河原町を通るんだとばつかり思つた」

    腹に物がつめこまれると、さつきはあんなにへたばつてしまつた神主の一隊もどうにか元気がついたやうであつた。これからいよいよ町通りである。自分の家の前を、妻子や使用人達がずらりと見物している中を、しやちこ張つて、堂々と歩かねばならないのである。で、大半はいつのまにか草履や下駄にはきかへていたものの、まだあの木箱をひきずるがらがらいふ音をたてて、紅い色の滲んだ、紙衣の神官達は、笏を前に構へ、気を張つて真正面を向いたまゝ繰り出して来た。俳優で云へば、まさに花道の出にさしかかつて来たところである。

    それは何となく「素人しろうとくさい」滑稽な云ひ方だつた。手こずつた主人がしらせたので、徳次の家からは家内のときが駈けつけて来た。泣いてとめた。半ば耄碌もうろくした父親も足をひきずつて来た。だが、騒ぎが大きくなるにつれて、徳次は前後を忘れてしまつた。はじめは煩うるさがつていた鬼倉もたうとう脅おどすつもりで短刀を抜き食卓の上に突き立てた。徳次は瞬間ぐつと大きく開けた眼をその白く光るものの方へ近づけた。もう何だかよく判らなかつたのである。やがて、突然、彼は見た。その不気味な白い刃を。或る一つの意識が、その危険さを認め、身ぶるひをさせた。が、すぐに、あの忘れがたい憤り、血に対する恐れと、それに反撥する怒りとがいつしよになつて噴き上つた。だが、次の瞬間には、酔ひの廻つた彼の頭はその光るものを忘れさせた。たゞ怒りだけがのこつて、燃えて、それも何かしらあたりの泣き騒ぐ音とごつちやになつてしまつた。彼は、鬼倉にぶつかつている気で、しきりと食卓の堅い縁にはだけた胸をすりつけながら叫んだ。

    「え」

    尿には蛋白質はなかつた。排便を顕微鏡でのぞいてみた。いる、いる。蛔虫に十二指腸虫の卵がうんとこさ見えた。

    何のためか、どういふつもりか、練吉は矢庭に房一の肩をぐんと押した。そして、自分は逸早く溝をとび越して、土手を駆け上つた。下の方では、黒い一杯の人だかりの間からは何やら鋭い言葉を叫ぶ者がいた。練吉が駆け上つた後から、房一も本能的に溝をとび越えた。事態は緊迫していた。練吉が何をしでかすか知れない、といふ予感が閃いたので。

    不幸なことに房一の予測はあたつた。いや、それ以下とも云へた。

    「挨拶みたやうなことはもうしたかの」

    だが、このはてしのない遠慮深さは気持の悪いものではなかつた。

    「脚気の方は?」

    すると、間もなく診察室の方から急ぎ足で出て来た房一は、道平を見るなり、

    「何だらう、山師を煽おだてて又一儲けしようてんだらう」

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