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    患者は満足してかへつて行つた。だが、房一は患者以上に満足していた。おれの云ひ方はあれでよかつたかな。もつと噛んでふくめるやうに話して聞かせるんだつたかなと、たつた今自分が云つたり、したことを、もう一度目の前に思ひ描きながら、房一は永い間廻転椅子の中に身をうづめていた。

    ふいに、徳次はしたゝかに横頬を殴られるのを感じた。容赦のない力が彼の首すぢをつかまへ、又やられた、一つ、二つ。それは、突然うしろからやつて来た。何だか判らなかつた。そして、抵抗するはずみを失ひ、きよとんとして見上げた。

    喜作は、

    読経がはじまつた。皆話をやめてその方を向いて坐り直した。

    すると、道平の半ばひきつゝた表情の中には、又あの悦ばしさが、かうして歩いて来たことを人に見られるといふ満足が、ゆつくりと、何だか紙のずれるやうな工合に上つて行つた。

    と、その稍落ちつきのない女らしい黒瞳くろめがちな眼を道平に向けた。

    練吉は顔をしかめ、手を振つた。

    今頃になつて、男はさう訊き、盛子がそれに答へる前に、ひとりでうなづいていた。

    昔はめったになかったように聞いているが、温泉場に近年流行するのは心中沙汰である。とりわけて、東京近傍の温泉場は交通便利の関係から、ここに二人の死場所を択ぶのが多くなった。旅館の迷惑はいうに及ばず、警察もその取締りに苦心しているようであるが、容易にそれを予防し得ないらしい。

    「何しろ、わや苦茶だ」

    房一はふりかへつた。

    徳次は自分のことのやうに熱心に路順を考へた。

    そして、こんなにはつきりした明るさの中で、もう十分に伸びつくした草地だの山地の樹木は、やたらにもくもくし、ぢつと息をつめているやうであつた。それは全体に黒つぽい様子をしていた。そのいくらか濁つた、一杯に成長し切つたことを示す黒味の中には、何かしらすぐ傍までやつて来ている九月の爽やかさを感じさせるものがあつた。

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