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    徳次は口のあたりをもごもごさせた。

    「患者さんですよう」

    「やあ」

    「ね、お母あさん。これ、こんなに汚いでせう。もう少し……たいんですけど。……でせうねえ」

    「あ、さうだ。お茶、お茶。おい、お茶を出してくれ」

    若しさうだつたら、そのまゝおとなしく坐つてはいられまい。それは、皆の前で公然と頭を押へられた所を自認するやうなものだ。前例にもなるだらう。一度きまつたとなつたら又打破るのは容易ではあるまい。それは、河原町で今後医者として立つて行けないことを意味する。頭を押へられたきり、ついには逃げ出すより他はないといふ破目に陥るだらう。彼は思つた。

    「鮒?――それあ喰べるとも」

    「いや、挨拶まはりですよ。どうぞよろしく」

    「うむ、さうか。玄関のことか」

    さう云ふ房一の前に立つて、徳次は子供が手いたづらをするのとそつくりな様子で傍にひよろ長く生えていた草を片手でむしりとり、口にくはへた。さつきはじめて傍へ近よつたときのやうに、彼の顔は又紅らみどこか力んでいる表情を浮かべながら、口のあたりをもごもごさせた。

    京都で行はれる御即位の大典はもう四五日後に迫つていたのだつた。その日、陛下は黄櫨染はぜぞめの御袍を召されて紫辰殿ししいでんに出御され、大隈首相は衣冠束帯で階前に進み出で万歳をとなへ、全国一斉に称和する予定で、その奉祝の催しでは河原町の各区内がそれぞれ知慧をしぼつていたのである。

    「えゝ、まだですが――何か御用?」

    「何だらう、山師を煽おだてて又一儲けしようてんだらう」

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