このページについて
江戸時代には箱根の温泉まで行くにしても、第一日は早朝に品川を発たって程ヶ谷か戸塚に泊る、第二日は小田原に泊る。そうして、第三日にはじめて箱根の湯本に着く。ただしそれは足の達者な人たちの旅で、病人や女や老人の足の弱い連れでは、第一日が神奈川泊り、第二日が藤沢、第三日が小田原、第四日に至って初めて箱根に入り込むというのであるから、往復だけでも七、八日はかかる。それに滞在の日数を加えると、どうしても半月以上に達するのであるから、金と暇とのある人々でなければ、湯治場めぐりなどは容易に出来るものではなかった。
「何者かつて云ふが、そもそもこゝで半鐘をたたいたから集つて来たんだぜ」
恐らく、房一も他の場合にはこれと似たりよつたりの動作をやるにちがひない、たゞ道平に向ふとこんなに易々とできないのだ。
「理窟があるやうな無いやうな話でね。こゝの隠居は相手にならなかつたから、たうとう訴訟といふ所まで来たんだらうが、何しろ相沢の先代とこゝの隠居とは兄弟だしね、――どんな理窟があるにしてもあまり賞めた事ぢやないね」
と、練吉は急いで云つた。
三十分もたつた頃、自動車は角屋の表で停つた。そこは国道が河原町に入らうとする曲り角で、角屋は国道に沿ひ、裏は河に臨んだ旅館である。責任者としての房一と神原喜作がそこにやつて来た時には、署長はまだ加藤巡査の報告を受けている最中だつた。若し房一達の来るのがもう少し遅れたら、加藤巡査の報告もあやふやになり、署長はじめを現場へ案内せざるを得ない破目はめにもなつただらう。そして、事は出張所の消防演習を火事と誤認して人だかりがしたのに過ぎず、事実が判明するにつれて漸次分散して行つた、といふことに落ちついた。全く一時は成行を憂慮された事態も、落着してしまへば、事実その通りにちがひなかつたのである。
と、案外冷静に云つた。
「何だらう、山師を煽おだてて又一儲けしようてんだらう」
房一は前の方を向いたまゝだつた。
いくらか浮うはつ調子に口の軽くなつた小谷にひきかへ、今夜の練吉は何となく元気がなかつた。細かいながらに絣かすりの目のはつきりした大島の上下揃ひを稍ぞんざいに着こみ、吃り気味に話をする彼には、だらりとした様子と同時に、どこか家風の結果といふやうな一脈の潔癖さが混交していた。
一番はしの家はよそから流れて来た浄瑠璃語りの家である。宵のうちはその障子に人影が写り「デデンデン」という三味線の撥音と下手な嗚咽の歌が聞こえて来る。
と、思はず房一の微笑に釣りこまれて、練吉は気がるな笑顔になつた。いつのまにか、かた苦しい「わたし」から「僕」といふ云ひ方になつたのも気づかないで。
六
- 山の中の素敵な温泉飛騨高山温泉の予約なら当サイト
- 清流流れる温泉四万温泉の予約なら当サイト
- 海際のハイセンスな宿鴨川温泉の予約なら当サイト
- 日本海の夕日をmini!皆生温泉の予約なら当サイトへどうぞ