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「挨拶みたやうなことはもうしたかの」
我々はそれから「き」の字橋まで口をきかずに歩いて行ゆきました。……
「え」
「さうですね。さつきからどうもさうらしいと思つていたんですが、失礼しました」
「何でもないぢやないかね、君から聞いたとほりだ。心配することはないと思ふな」
徳次は自分のことのやうに熱心に路順を考へた。
「それがね、どうも本妻と妾を二人いつしよだといふ話だが、――なにしろ荒いのでね、二人ともぐうの音も出ないで温和おとなしくしとるらしい。――うん、さうだ。こないだ店へ買物に来た在ざいの者が話して行つたが、その家の前を通るとね、どうも女の泣声らしいものが聞える。それもただの泣き声ぢやない、ヒイヒイいふ、まあ恐いもの見たさでそつとのぞきながら通ると、多分妾の方があんまり痛められるんで逃げ出さうとでもしたらしい、それで片足土間に降りて片手を畳の上についたところを小柄こづかみたいなもので、何のことはない手の甲からズカツと畳まで刺しつけて動けんやうにした。だもんで、女の方はどうにもならんのだね、そこへしやがみこんだまゝヒイツヒイツて泣いとつた。見た男は足がふるへたつていふが、それあ誰でもふるへるだらう」
と房一が答へた。
房一はその時診察用の椅子に腰を下して、ゆつくりと煙草をふかしながら、何気ない風で男の様子に目をつけていた。彼は男の要求する意味を悟つた。たゞ治療をしろ、他のことは見て見ぬ振りをしてくれ、まして他言は無用だ、といふ意味だつた。
「小倉組の連中が来たちふぢやないかね。ほんとうかね」
急いであたりさはりのない返事をすると、今泉はもう隣りの人の方を向いて挨拶をした。
「あゝ、まだ持つてる!」
その時、突然練吉は、房一がさう云ひかけたまゝ当惑した表情になつたのを見た。
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